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東北地方太平洋沖地震 慶應義塾救援医療団の活動
東北地方太平洋沖地震 「慶應義塾救援医療団」を派遣
―震災発生直後に結成 被災地での医療にあたる―
3月11日午後2時46分頃、国内観測史上最大となる史上マグニチュード9.0を記録する地震が東北地方太平洋沖で発生しました。巨大な津波や火災による死者・不明者の合計は2万人を超えるといわれ、福島第一原発事故を受けて避難している人を含めた25万人以上が避難所での生活を余儀なくされています。
こういった事態を受け、慶應義塾では「慶應義塾救援医療団」を組織することが速やかに決定。医学部・病院でもボランティアを募る旨を連絡したところ、その日のうちに40人以上が協力を申し出て、直接被災地での医療活動に従事するだけでなく、医療物資の獲得などに向けて各自が支援活動をスタートしました。
救援医療団は、公的機関からの要請に対応して現地に赴く救援医療チーム(救急医学教室の堀進悟教授が指揮をとる)と、被災地の慢性期患者に対する様々なケアを実施する一般医療チーム(医療支援キャラバン・眼科学教室の坪田一男教授が指揮)の2チーム体制で組織。第一陣となる救援医療チームは、東京都の要請に基づき、3月17日(木)朝、宮城県気仙沼市に向かって出発しました。救援医療にあたっては放射線専門家が検出器を持参し、GPS通信機も活用します。
3月23日(木)に岩手県宮古市に向けて出発した一般医療チームは、大学病院連携高度医療人養成推進事業のパートナーである岩手医科大学をサポート。今後長期間にわたると見られる慢性疾患を持つ被災者の皆さんの治療をサポートしていきます。
また、三四会でも医学部の要請を受け、支援部隊派遣のために300万円の支出を行いました。この支出に関しては、会長以下3名の副会長、財務担当理事、各理事の賛同を得て決定しました。今後は義塾としての様々な支援活動に加え、被災地の三四会員の医療サポートなども独自に行っていきます。
【医学部長より】慶應義塾救援医療団結成にあたって
慶應義塾救援医療団が結成され、東京都からの要請に応えて3月17日早朝に藤島清太郎君(救急医学61回)を隊長とする第一陣が気仙沼の救援医療任務で派遣されました。
今回の災害は国難規模であり、極めて甚大且つ広範に亘っていることに鑑み、医学医療の支援だけでなく輸送手段、物資供給、政財界のネットワークを活かした多面的支援体制を構築する必要がありました。
今回、清家篤塾長をはじめとして塾法人の迅速かつ深いご理解もあり、「義塾としての救援医療団」としての立ち上げをお認めいただいたおかげで、実に多くの医師、看護師、薬剤師の皆さんが応募にいち早く応えていただき、信濃町キャンパスの士気は益々高まっております。急性期の対応だけでなく、すでに法医学教室の藤田教授による犠牲者の身元確認作業への貢献、大学病院連携型高度医療人養成推進事業の連携校である岩手医科大学およびその周辺地域への派遣活動(眼科学教室 坪田教授)、高度先進医療大学病院への支援活動としての東北大学医学部付属病院への物資調達活動(生理学教室 岡野教授)などが稼働しました。これらの活動に当たってはすでに多くの評議員、理事の方々の将に社中一丸のご支援がありましたこと深謝申し上げます。
3月24日には第一陣の帰京報告会が総合医科学研究棟ラウンジで開催され、100名を超す大勢の方々の参加に加え、服部禮次郎連合三田会会長がご臨席され、4名の第一次隊員への表彰を行うことができました。
一連の救援活動に対して、比企三四会長、末岡理事からもいち早くご賛同とご支援をいただきました。この場を借りて三四会会員の皆様に厚く御礼申し上げます。
今後は亜急性、慢性期支援活動を「地元のニーズに合わせて息長く」を合言葉に活動を進めていきたいと考えております。皆さまのご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。
東北地方太平洋沖地震緊急現地リポート
東京都の要請で第一陣が気仙沼へ 救急医学教室 堀進悟(54回)
1)地震発生の直後
3月11日(金)午後2時46分、東北地方太平洋沖地震が発生した。信濃町キャンパスにも大揺れがあり、多数の人が建物外に避難した。しかし診療には差し支えなく、病院建物にも大きな異常はなかった。テレビニュースが大地震発生を伝えて間もなく、東京消防庁から九段会館で天井の崩落があり心肺停止を含む傷病者多数発生との通報があった。病院長の指揮のもと災害対策本部が作られた。交通機関途絶のため約300人の患者が帰宅困難となり、病院内で一夜を明かした。災害による救急受診は9人、病院にとどまった患者の救急受診は37人であった。
テレビが地震と津波の状況を刻々に放映した。同日夜から全国のDMAT(災害医療チーム)組織や日本赤十字の救援隊が活動を開始し、緊急車両を有する医療チームは被災地への移動を開始した。災害が広域にわたるため、岩手、宮城、福島、茨城各県にDMAT調整本部が設置され、多数の重症患者に備えて自衛隊機による医療搬送が計画され、12日(土)には各県拠点空港と羽田空港にSCU(ステージングケアユニット)が設置された。慶應義塾大学病院はICU2床を確保して受け入れに備えたが、搬送患者数は10~20人と少数にとどまり、慶應義塾大学病院には搬送されなかった。同日正午に羽田SCUは患者少数のため閉鎖され、災害の状況が阪神大震災とは全く異なることが明らかとなった。3月23日現在、死者・不明者の合計数23807人、これに対して負傷者数は2722人と報道されている。阪神大震災では死者約5000人、負傷者約5万人と、死者は負傷者の10%に過ぎなかった。
2)救援医療チームの派遣
広域にわたり市街・居住地が破壊されたため、救護所避難の被災者数は40万人を超えた。慶應義塾大学医学部は14日(月)夕刻の教授会で病院長が救援チーム派遣を宣言、15日(火)朝に東京都の要請により宮城県気仙沼市への救援チーム派遣を決定した(慶應義塾大学救援医療団、本部長 武田病院長)、さらに末松医学部長が災害対策の全体を統括し、三田会を含め、全塾が救援医療活動を支援することになった。救援チームは8人派遣の予定であったが、輸送手段と宿泊施設の制限から4人に縮小するよう東京都から求められ、医師2人、看護師1人、事務(あるいは薬剤師)1人の体制に縮小した。15日から参加者を募集したところ、19日現在で46人と多数の応募をいただいた。17日(水)朝7時に救援チームは都庁から他病院の救援チームと共にバスで出発、放射線災害を避けるために関越道を経由して同日夜11時に宿舎の一関ルートインに到着、18日(木)早朝から気仙沼市総合体育館ケーウエイブに到着、さらに現地の要請を受けて大島小学校周辺住民への救援医療を開始し、19日からは総合体育館ケーウエイブでの救護所医療を開始した。
3)今後の予定
第二次チームを派遣した時点で、気仙沼市には救援チームが飽和したため、東京都から第3次チーム以降は気仙沼市以外(東松山市、宮古市など)への派遣を調整中である。災害の重大性に鑑み、慶應義塾大学救援医療団の救援活動は、少なくとも4週間、継続する方針である。
慶應義塾救援医療団 派遣者予定リスト 2011.3.22現在
出発日 | 救急科医師 | 医師 | 看護師 | 事務 | 薬剤師 |
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3月17日(木)
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○藤島 清太郎
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林田 哲(消化器外科)
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山崎 法子(ER)
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片岡(放射線管理)
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3月20日(日)
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○並木 淳
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香坂 俊(循環器内科)
宇井 理人(眼科) |
阿部 江津子(6N)
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磯上 一成
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未定
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○佐々木
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池村 辰之介(呼吸器内科)
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岡部 衣留舞(手術部)
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中田 英夫
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未定
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○関根
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田中 竜馬(小児科)
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広岡 葉子(6S)
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松尾 健介
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未定
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○鈴木
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奥山 訓子(整形外科)
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櫻井 美樹(5N)
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小谷 宙
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未定
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安倍
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○朴沢 重成(消化器内科)
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森 力哉(看護部 麻酔科研究員)
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未定
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○本間
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渡部 高久(耳鼻科)
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未定
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○岡沢
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御園 生与志(麻酔)
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未定
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城下
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○和田 則仁(消化器外科)
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(○はチームリーダー)
パワーあるチームの継続的支援を!眼科学教室 坪田一男(59回)
慶應義塾救援医療団の一般診療サポートチームは、被災地への今後半年間にわたる医療サポートを目指し、3月24日より26日まで岩手県三陸沿岸部の視察を行った。
地震よりも津波による被害が甚大であった岩手県三陸沿岸部では、3月16日の時点で、4万6000人を超える避難者が395箇所の避難所に身を寄せている。(岩手県災害対策本部調べ)また、6箇所にあった基幹病院のうち、診療が出来ているのは2箇所だけで、急性期だけでなく、亜急性期から慢性期疾患への対応も急務となっている。今回の視察の目的は、高度医療人育成の提携校であり、被災地にも関連病院を多くもつ岩手医科大学と共に、現地の慢性期疾患に対する医療需要を把握すること、既に入っている医療救護団との地域的な重複を避け、能率的に医療を届ける仕組みを検討することにあった。
まず、3月24日に岩手医科大学を訪ね、若林剛先生(岩手医大外科教授・61回)、黒坂大次郎先生(同眼科教授・66回)とともに、学長の小川彰先生と面談し、どのような形での提携が出来るのかについての方向性を伺った。岩手医大として、沿岸基幹病院地域医療支援室を設置し、文科省高等教育局の医師派遣要請を行っていることや、県庁内に設置された、いわて医療災害ネットワークのコーディネーションのもとに、被災地のフィールドワークを行う巡回診療医療団の派遣を行っていることを伺った。もともと地域関連病院との繋がりのある岩手医大との提携は、地域に根ざした医療提供をする上で、非常に望まく、小川学長からもその活動を大いに期待された。その後、県庁へ移動し、いわて医療災害ネットワーク本部長 高橋智先生(岩手医大内科准教授)を訪ねた。このネットワークが中心となり50の医療団現地入りしているが、被災地では、引き続き長期的な医療支援が必要になっている。さらに、インフラの整備も不完全なので、食糧確保なども含め自己完結型の医療支援で、パワーのある継続的な医療提供を強く望んでいるとの意見を伺った。
午後からは、81箇所の避難所に13,000人の避難者を抱える陸前高田市の視察を行った。基幹病院であった県立高田病院は津波で建物が使えなくなり、地域の施設を仮診療所として診療を続けている。この地域には岩手医科大学の他、北大、関西大、秋田大ほか10程度の医療チームが活動をしているなど詳細の情報がわかった。続いて、長部地区へ移動し、避難所と仮診療所に同じ部屋が使われている小学校を訪ねた。感染症予防の観点からも、仮設の医療施設の設置が必要とされること、医薬品の調達については、ボランティアの医療団のみに任せられているなどの現場の意見を伺った。今後は、行政との連携した医療提供が望まれている様子が伝わってきた。
翌25日は、岩手医大の若林先生、黒坂先生ならびに寺山靖夫先生(内科学教授)とともに、三陸沿岸の宮古から沿岸部を南下し、山田、大槌、釜石までの避難所や医療施設を巡った。この地域では、およそ20,000人以上の避難者がいるが、2箇所の基幹病院は津波の被害を受け、通常の診療は行われていない。特に山田と大槌では、ボランティアの医療チームが1週間程度の交代で現地入りし、避難者への医療を提供している。同行した若林先生の教室の関連病院である県立釜石病院は、津波の被害は免れており、遠藤秀彦院長、吉田徹副院長と意見交換をすることが出来た。ここでも強調されたのは、継続性と、自立型支援、そして地域に根ざした医療を行政とも連携しながら進めることであった。
被災地の視察後、医療団の宿泊施設の候補をいくつか回り、盛岡へ戻った後、今後の予定について関係者での対応策をまとめた。結論として、一般医療サポートチームは岩手医科大との連携のもと、4月中旬からの派遣を決定した。医学部だけなく、看護医療学部、薬学部のある慶應の特色を生かし、医師2名、看護師1名、薬剤師1名、事務1名 合計5名を1つのチームとして、継続的に9月まで半年間の派遣をしていく。
もともと医師不足のこの地域において、地域医療を支えてきた岩手医大との連携は、被災地への支援というだけでなく、医師として学ぶべき現場が多くあるだろう。多くの先生方のお力添えに期待する。