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『ショパン(Frédéric Chopin)1838』

ウージェーヌ ドラクロア Eugène Delacroix

フレデリック・ショパン(1810-49)28歳時の肖像画です。ピアノの詩人と称されたショパンの繊細で哀愁を感じさせる影の部分をその風貌のなかに見事に描き出しており、肖像画の傑作として高く評価されている作品です。ドラクロアは1863年に亡くなるまで、この絵を未公表のままずっと手元に置き続けたと云います。

パリに住む音楽の才能にも恵まれていたドラクロワとフランス人の父親を持つショパンは12歳という年齢差はあるものの芸術を通じてお互いを尊敬し合う良き友人同士だったようです。ショパンの才能を逸早く見抜き世に紹介した先輩作曲家であり超絶技巧のピアノで楽壇の寵児フランツ・リストは、[リストによるショパン論(1853年出版)] の中で詩人なる音楽家[ショパン]を最も足しげく訪れた人々の中にドラクロワを挙げており、彼は深淵のおぞましい情景の上を飛び舞う輝かしい鳥に似るこの軽快で情熱的な音楽の音につれて深い夢想に沈むことを好んだと記しています。

ドラクロアは現在ではロマン主義の巨匠として知られていますが、1830年にフランス7月革命「栄光の3日間」の2日目の様子を描いた彼の代表作La Liberte' guidant le people (28 juillet 1830),民衆を導く自由の女神では、自由を渇望する民衆の希望を女神に託し、その女神が三色旗を掲げ屍を乗り越え先頭を切って進む姿に女性へのエールを込めました。男装の麗人にしてフランスの文壇で活躍中の女流作家ジョルジュ・サンド(1804~1876)は女性の地位向上を願うドラクロアの考えに共感し親交を深めます。このサンドと当時ショパンは、恋仲で、1838年から1847年まで同棲生活を続けました。数々の男性遍歴を重ねたサンドですが、ショパンに対する愛は本物で唯一の恋人と考えていたようです。その根底にあったのはショパンの音楽才能に対する敬愛でした。サンドのショパンの音楽に対するコメントは有名です。この肖像画は、描かれた当初「右側でピアノを弾くショパンと左側で演奏に聴き入るサンド」という構図の二重肖像画であったと言われています。ドラクロワのスケッチからもその原図の様子がうかがえるので御覧下さい。しかし現在は二枚に切り裂かれ、ショパンの部分はルーブル美術館に、サンドの部分はコペンハーゲンの美術館に、それぞれ別々に所蔵されています。このためこの絵は「切り裂かれた肖像画」としても知られています。才能ある恋人同士の肖像画が二枚に切り裂かれた理由をめぐっては、ドラクロアの遺産分割争いに巻き込まれた(二枚に分けた方がそれぞれに財産価値がでるわけです)説やジョルジュ・サンドと前夫との間の息子モーリスが、母親の愛人であったショパンを嫌い絵を切り裂くように仕向けたとする説など諸説考えられています。

さてジョルジュ・サンド、本名オーロール・デュパンは激動の19世紀フランスで活躍した作家であり思想家、革命家として知られています。彼女は19世紀の封建的社会のなかで、女性のあるべき立場を擁護し、表現の自由、情熱と幸福を求める権利、男女平等について主張し、フランス女性の輝ける星的存在でした。それとともに恋多き女として自由奔放な男性遍歴でも有名です。カジミール・デュドヴァン男爵と結婚し2子をもうけるも、その退屈な生活に飽き、パリへ出て男爵と別居、その後はジュール・サンドー、ミュッセ、リスト、ショパン、マンソーなど多くの男性と関係を持ちました。しかも、その男性たちのほとんどは19世紀ヨーロッパを代表する政治家や芸術家であり、彼女の手紙を読めばその時代のフランスの様子が手に取るようにわかると言われています。ジョルジュ・サンドを巡る男達の中ではやはりショパンが有名ですが、もう一人アルフレッド・ド・ミュッセ(1810~1857)のこともお見知りおきいただきたいと思います。29歳のサンドは1833年の春23歳の詩人ミュッセに出会います。彼は当時端正な顔立ちにクールなダンディスムを漂わせた新進気鋭のフランス文壇界の寵児でした。ほどなく二人は激しい恋に落ち、ミュッセはマラケ通りのサンドの家で暮らし始めます。ここでミュッセはリストを夕食に招きサンドに紹介、リストとサンドは、音楽と文学に対する共通の関心から急速に親しくなっていきました。また当時リストの恋人だった社交家マリーダグー伯爵夫人の催すサロンで後にショパンとの出会いを果たすことになります。

さて庶民派のサンドと没落放蕩貴族のような自己破滅的性格のミュッセ、ふたりの恋は紆余曲折の末1835年にサンドが、この情熱の恋に疲れ果て、終わりを告げます。ミュッセの詩人としての才能は、サンドとの別離後次第に枯渇していきます。詩作のため酒に溺れ現実と夢の狭間に意識が混濁する時、頭が前後に激しく揺れ、やがてこれが意識清明時でも起こり自分の親指と人差し指で首を支えることで止まることに気付きます。「Musset’s sign」三四会員の皆様はもうお気付きですね。その昔循環器内科で習った大動脈弁閉鎖不全症の際収縮期圧と拡張期圧の圧較差が増大し増加した心拍出量の衝撃力で頭が前後にゆれる徴候、ミュッセ徴候とはこの大動脈弁閉鎖不全症を患ったAlfred De Mussetの症状に由来しています。